仕事がとても忙しい。たまの休みも偏頭痛で潰れたり、息継ぎの出来ない日々が続いて疲れ気味だ。
そしてこの頃、会社の資料に現れる「案」という漢字が「笑」に見えることがある。
例えば。
■2006年 第一四半期スケジュール(笑)
たぶん、すっごく疲れてる。
Nobwak's memo
仕事がとても忙しい。たまの休みも偏頭痛で潰れたり、息継ぎの出来ない日々が続いて疲れ気味だ。
そしてこの頃、会社の資料に現れる「案」という漢字が「笑」に見えることがある。
例えば。
■2006年 第一四半期スケジュール(笑)
たぶん、すっごく疲れてる。
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引っ越し荷物から出てきたGクレフのCD、ペルメル。
最近、聴いてます。
バイオリン、チェロ、ピアノのトリオで無茶な演奏をする人たち。
特に無茶なのがモンティのチャルダッシュ。
チャルダッシュとは、ハンガリー音楽の一ジャンルで、バイオリン曲としてはモンティのチャルダッシュがすごく有名である。形式は遅いパートと早いパートからなっていて、遅いパートで哀愁ただよう演歌を歌い上げ、早いパートは突っ走る。民族音楽であり演歌である。
このように、もともとこってりした曲なのだが、この人たちのチャルダッシュは過剰に濃厚だ。
なんてったって、いきなり「ぬおりゃー」という野太い男の声から始まって呆然とすると、続いて始まる粘着質なバイオリンの音色に自失しそうになる。
「俺はもっと弾きたいんだーッ!」という荒ぶる魂が一小節一小節にミッチリ詰まってるのだ。
バイオリンを習っていた学生時代、町のひなびた中古CD屋で見つけて何となく聴いたら、いたくショックを受けた覚えがある。
と、同時に吹っ切れもした。こんな風に、情念全開で弾いてもいいんだと。
まあ、クラシック的にはダメなわけですが。
どちらにしても、こういった既成概念が崩れるのはカタルシスを感じる。
久々にそういうこともないかなと、チャルダッシュを聴いているこの頃だが、朝から晩まで死亡遊戯状態の仕事ばかりで、全くそんな気配はないのであった。
通勤途中に何かがふっと匂って、それがキンモクセイだと理解するのに数秒。
脳内で匂いを感じる部分は、記憶を司る海馬の近くにあるから、とかその他さまざまな理由から言われている通り、匂いは過去の沢山の事を思い出させます。
甘ったるいキンモクセイの香りに結びつけられた記憶を浮かべつつ、秋だなあと思っていると、今度は混雑した電車の中で漂ってきた防虫剤の臭いに思い切りむせた、そんな日。